11月 月例会報告
| 【日 時】 |
令和7年11月29日(土曜日) 13時~17時 |
| 【会 場】 |
中央区・佃区民館 会場参加者19名
リモート参加を予定されていた方々、事務局の不手際で参加して頂けませんでした。今後このような事が無いよう気を付けます。大変申し訳ございませんでした。 |
第一部 (研究発表と懇談会) |
1.研究発表 題名:「私のホツマツタエ」 尾木 由起子氏
(1)説明趣旨:
「ホツマツタエ」の概要を述べられ、信憑性を高めるための一助として、①現地での確認事項、②知りえた事として(ア.「国譲り」、イ.「二つの賀茂神社」)の事柄を提示され説明がありました。
(2)発表項目:
①数種類の参考図書を基に私たちに馴染の薄い」「ホツマツタエ」とはについて解説されました。②現地に赴いて知りえたことを交えながら、「神」の系図に沿って「国譲り」に登場人物の言動などを説明されました。③「二つの賀茂神社」にまつわる伝説などの紹介と解説がありました。
(3)論点・質疑など:
「ホツマツタエ」が日本に文字がなかった時代にヲシテ文字と言われる縄文文字で書かれたとされること対して、成立年代を疑問視する意見が多かったようです。 (発表95分、質疑10分)
発表資料は してお読みください。
★★ 事務局 記★★
「ホツマツタエ」とは、まだ日本に文字がなかったと言われていた時代、ヲシテ文字と云われる神代文字で書かれた五七調の長歌体で【全四十綾(章)】から成る「古史古伝」のひとつである。リズムが良く、記、紀よりもずっと現実的でわかり易いが、ただ「ホツマツタエ」は神代文字で書かれているので一部では偽書とされ、写本も江戸時代中期(1775年)のものが最古なので江戸時代中期に創作されたものとも言われているが、一部の研究者や愛好家が「ヲシテ文献」の研究を続けており、『古事記』『日本書紀』の原書説を主張している。
2. 【懇談会】
会場で配布された資料を基にお二人の方から内容の説明がありました。
①倉沢良典氏「古田武彦記念古代史八王子セミナー2025」(補足説明は橘高・國枝、他の各氏)。
②広幡文氏「一大国=壱岐島を訪ねて」(秋季九州研修旅行の際に訪問)。 (所要時間20分)
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第二部 (勉強会と読書会) |
1.【勉強会】
「古田武彦『ここに古代王朝ありき』その二」 新保 高之氏
(1)説明対象:
第一部〔邪馬一国の考古学〕の第二章〔倭都の痕跡〕と第三章〔三世紀の空白〕でした。
(2)説明内容:
①各章の主要点を抽出して解説し、②各章の各節の要点事項を説明しました。なお、第一部 第三章「三世紀の空白」に関しては、会報171号(2016.11)に論稿が掲載されています。
(3)質疑等:
①中国側が尚古主義によって、今ではなく古い銅鏡を授与したとする先生の見方に、会場から記念品であるとの見地から、議論が必要ではないかと反論がありました。 (解説・質疑50分)
2.読書会 「岩波文庫『日本書紀』 「雄略紀新規その二」
(1)履修対象など:
五年4月~八年2月条。トピック①として、雄略紀の「補注」、でした。
(2)履修内容:
①各年の記事について、原文記事を示して注を説明した後、宇治谷孟編の現代語訳文を朗読・ 解説し、最後に、②「トピック①」として補注25項目を年条別に大略説明しました。
(3)質疑応答:
①五年7月条の「軍君入京、既而有五子」に関して、〔一般に「既に五人の子持ちだった」とするが、「やがて五人の子供が生まれた」と解釈すべきでは〕との提案への反論がありました。なお、「既」には過去と未来への両方の意味を含むようです。②「呉」に関連して、中国の読みには当時の王朝名をそのまま呼ばないことがあるとの解説が参加者からありました。 (解説・質疑35分)
発表資料は してお読みください。
ご意見・質問はメールで【info@tokyo-furutakai.com】下さい。 |
12月 月例会
| 【日 時】 |
令和7年12月27日(土曜日) 13時~17時 |
| 【会 場】 |
中央区・佃区民館 洋室3号  |
| 【第一部】 |
1. 研究発表 |
題名:気候変動② 斉藤 隆雄氏 |
2. 懇親会 |
フリートーク |
【休 憩】 |
| 【第二部】 |
1. 勉強会 |
題名:「古田武彦著作集」から 新保 高之氏
『ここに古代王朝ありきー耶馬一国の考古学』 その3 |
2. 読書会 |
題名:『日本書紀』を読む その3 新保 高之氏
「雄略天皇紀」 |
01月 第61回「和田家文書研究会」例会
| 【日 時】 |
令和8年01月10日(土曜日) 14時から17時 |
| 【会 場】 |
中央区・佃区民館 洋室2号  |
| 発表 |
1.『陸奥話記』を『和田家文書』を対比して共に読むその5 菊地 栄吾氏
2.❶秋田重季氏らの集合写真調査報告 古賀 達也氏
❷令和7年(2025)東日流の旅
3.「和田家文書」関係 安彦 克己氏 |
01月 月例会
| 【日 時】 |
令和8年01月31日(土曜日) 13時から17時 |
| 【会 場】 |
中央区・明石町区民館 洋室8号室  |
| 【第一部】 |
1. 研究発表 |
『続日本紀』と「多賀城碑」 國枝 浩氏 |
2. 懇親会 |
フリートーク |
【休 憩】 |
| 【第二部】 |
1. 勉強会 |
題名:「古田武彦著作集」から 新保 高之氏
『ここに古代王朝ありきー耶馬一国の考古学』 その4 |
2. 読書会 |
題名:『日本書紀』を読む その4 新保 高之氏
「雄略天皇紀」 |
≪トピック 26≫ |
天武天皇の飛鳥浄御原宮、
大型の正殿跡や石敷き通路出土天皇の儀式の場ほうふつ |
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奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、飛鳥時代の673年に天武天皇が即位した「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」の主要施設「南区画・正殿(せいでん)跡」が東西20メートル、南北11メートルの大型だったことが分かり、県立橿原考古学研究所が5日発表した。天皇が出御(しゅつぎょ)する際の石敷きの通路や、臣下が儀式の際に控えたとみられる砂利敷き広場も確認され、宮殿中枢の構造を知る上で重要な資料となった。
飛鳥浄御原宮は天武天皇の妻、持統天皇が694年に藤原京(同県橿原市一帯)に遷都するまでの首都。中心部分は内郭(ないかく)と呼ばれ、南北約200メートル、東西約150メートルにわたって塀で囲れ、天皇の私的空間の「北区画」と、今回調査された南区画に分かれている。南区画の正殿跡は昭和54年に西半分を発掘。建物を囲む通路状の石敷きや砂利敷き広場の一部が出土した。今回は東半分を調査し、整然と並ぶ柱穴が確認され正殿の規模が確定した。通路状の石敷き(幅約2メートル)は、30センチ大の平石(ひらいし)を内側だけ1段高くして格式を高めた構造と判明。さらに、北区画に延びる通路部分は幅2・9メートルと広く、北区画にいた天皇が南区画の正殿に渡る際に使われた可能性が高まった。
日本書紀には「天武天皇が儀式に際して大安殿(おおあんどの)におでましになった」との記述が複数あり、今回の正殿に相当するとの説が強い。また、内郭の南東にある大型建物「エビノコ大殿」は大規模な儀式が行われた「大極殿」とされている。
清水昭博・帝塚山大教授(考古学)の話
「昭和54年以来の調査で、天皇が関わる公的施設であることが明確になった意義は大きい。臣下が控えた砂利敷き広場に対して、正殿北側の通路は大きな平石が用いられ、天皇と臣下では石の使い方にいたるまで区別したことが分かる」
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「古田武彦記念古代史セミナー2025」報告!!
テーマ:「卑弥呼はどこにいたか」
実施日:2025年11月8日(土)~9日(日)
会 場:八王子・大学セミナーハウス
参加者:総勢69名会場参加(35名) リモート参加(24名)
主 旨:江戸時代以来の懸案となっている邪馬台国問題に決着をつけるために、
理論的、科学的、客観的な議論を行うセミナーの実施を目指す
講 師:仁藤敦史先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)
久住猛雄先生(福岡市教育委員会)
関川尚功先生(元橿原考古学研究所)
谷川清隆先生(国立天文台特別客員教授) <欠席>
【1日目】
仁藤敦史先生 題目:「東アジアからみた卑弥呼王権―公孫氏政権と魏王朝」
久住猛雄先生 題目:「伊都国」・「奴国」の遺跡と出土遺物からみた3世紀の「倭国」と「邪馬台国」について
【2日目】
関川尚功先生 題目:「大和ではありえぬ邪馬台国」
パネルディスカッション
今回は主旨に沿い九州王朝説から見る「邪馬台国」と違う見解を持つ先生方を招き講演をして頂きました。2日目パネルディスカッションも熱のこもった質疑応答がなされ実りある2日間でした。
尚、細かい内容につきましては近々に「八王子セミナーハウス」のホームページに掲載される予定ですのでアクセスしてご覧ください。
公益財団法人大学セミナーハウス公式ホームページ
当会のホームページ「古田武彦記念古代セミナー」の欄からも見られるように準備しております。
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古田史学の会・新春講演会
| 日時 |
令和8年1月18日(日曜日) 13:20~17:00 |
| 場所 |
大阪・茨木市文化・子育て総合施設おにクル7階 |
| 講師 |
①「風土記は史実を語るのか?」 荊木 美行氏
②「多元史観」から見た風土記研究
~「懸型(乙類)風土記」の成立時期 谷本 茂氏
③「風土記」が拓く大和朝廷以前の歴史 正木 裕氏 |
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古代史講演会in 池上会館報告 講師:服部静尚氏
11月16日(日曜日) 「ここに九州王朝ありき」 第11回 「壬申の乱の真相」
告知では「呪われた藤原京・禅譲と不改常典と宣命文」でしたが講演題目の変更が有りました。
そして来年も「ここに九州ありきⅡ」を本年同様12回開催すると、発表された。
「壬申の乱の真相」について下記3題目を取り上げ歴史教科書に風穴を開ける史実だと話されました。
1、672年壬申の乱は、日本国天皇を救援した筑紫都督と、九州王朝の治世に不満をもつ
蘇我赤兄らクーデター軍との戦いだった。
おかしなことばかりの『日本書紀』が記述する「壬申の乱」には、大宰府にいた筑紫都督
・大海人皇子を隠したために齟齬が見える。
2、日本国天皇を救援した筑紫都督側が勝利し、2つの権力が一本化する。676年、唐が朝鮮半島から
撤退して、その後筑紫都督府は自然消滅する。
3、しかし、九州王朝に対する臣下らの不満は残り、難波宮火災⇒藤原宮造営⇒皇太子高市皇子死去により、
大和朝廷初代の文武天皇が重臣たちの推挙(禁中定策)により即位する。
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講演内容はYouTubeチャンネル【八鳥ちゃんねる】で聴講できます。
https://www.youtube.com/@hattori_yao
チャンネル登録をお願い致します。
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次回「第12回」は12月21日(日曜日) 14時から
題目 【呪われた藤原経 禅譲と不改常典と宣命文】
ぜひお誘い合わせてご参加をお願い致します。
講演題目・会場案内は して下さい。

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